芸術家『酒井萠一さん』

今回ご紹介するのは、『じまブロ元気村』でもお馴染みの大山椒魚さんこと酒井萠一(ほういち)さん。
酒井萠一さんは、岐阜市在住で現在は大山椒魚、お地蔵さんを代表とする水墨画を中心に創作されている芸術家です。それらの作品には多くの場合一筆言葉が添えられ、作品とその言葉がとても心に響いたり、ほっとしたり、または考えさせられたり、とても『じまブロ元気村』にもマッチした作品が多くあります。
今回の取材では、これらの作品を描くようになった切っ掛けを中心に岐阜市内のアトリエにお邪魔してお話しを伺いました。
大山椒魚の手は赤ちゃんのよう・・・
(じまブロ元気村村長 以下:村)
酒井萠一さんは以前は今の作風とは随分違った物を多く描かれていたようですが、今の大山椒魚作品を描かれるようになった切っ掛けとかがあったのでしょうか?

(酒井萠一さん)
僕の周りには、陶芸家とかかなり変わった本屋さんをやっているヤツとかいろんなヤツがいまして、以前はその友人達と、誰も行かないような場所にふらっと出掛けていました。おかげで全国の珍名所はかなり制覇しました。(笑)
もう20年も前の話ですが、ある時、長良川の支流の小間見川の上流部へぶらっと遊びに行きました。そこは山深い本当にきれいな渓流だったのですが、川の中を見ると大きなサンショウウオが沢山いたんですよ。
冷たい川に潜ってその姿を見ると堂々とした雰囲気と何かしら人間臭さがあって、とても感動しました。

観察しているうちに偶然に触ってしまったんですが、皆さんはヌルヌルした感触を想像する方が多いでしょ。 しかし実際には人間の赤ちゃんの肌のような感触です。特に手はまさに赤ちゃんの柔らかな手です。
作家が取り上げるように、大山椒魚には他の動物にはない何か人間くささがあると思うんですよ。
(村)
そういえば、井伏鱒二さんの小説とか、、、
(酒井萠一さん)そうです。何処かしら人間くさいくせに仙人のような威厳があって、それでいて愛嬌がある。
そんな、とても不思議な魅力にはまって、それ以降大山椒魚をテーマに、もう20年も描き続けています。
(村)
大山椒魚は、じっとして全く動かないという印象があるのですが、顔つきは随分愛嬌がありますね。
(酒井萠一さん)
のろまに見えますが陸に上がると案外動作は素早いんですよ。 タタタタ~と走る感じ。(笑)
だけど普段はエサを追い回すなんて事は全くなくて、たまたま目の前に来た魚をパクッと食いついて食べる程度みたいですね。自分から動くなんて事はほとんど無いらしいですね。
それでいて100年以上も生きて1メーター以上にまで成長するので、生物学的にも非常に不思議なようですね。
生きる省エネ生物です。
(村)
やっぱり、無駄な力は使わない、、、脱力生活の達人?(笑)
(酒井萠一さん)大山椒魚から人間を見たら、随分せせこましく動く、無駄な生き物なのかもしれません。
(村)
大山椒魚について僕も事前に少し調べてみました。
彼らには3000万年生き抜いてきた確かな実績があって、せいぜい700万年程度の人間は彼らから見たら赤ん坊に近い。人間がどう頑張ってもこの実績にはかないません(笑)
それに両生類としては世界最大らしいですね。
(酒井萠一さん)
本当に不思議な生物で、環境汚染には非常に弱いようですが、かといって生命力は非常に強いんです。
昔は食用にもされていて、山村では貴重なタンパク源だったのだろうと思います。あくまでも聞いた話ですが半分に切り裂かれても死なないなどと言われていますし、『生きた化石』と言われるように、太古から生き抜いてきたというのも生命力が強いからだと思います。
おそらく、つらい環境になっても人間のようにジタバタしない。無駄な力を使わずに、じっと待つ。これ、人間には出来ないですね。
※オオサンショウウオは国の特別天然記念物に指定された稀少な生物です。捕獲はもちろん触ったりすることも法律で禁じられていますのでご注意ください。
小さな生物は、より環境の変化に敏感
(村)酒井萠一さんの大山椒魚作品には現代の文明の発達を少し斜めから見るような、現代への警告のようなメッセージ性が多く込められていますよね。
(酒井萠一さん)
いや、僕の場合そんな大層な事はあまり考えていません。基本的に大山椒魚が好きなんです。
ただ、地球温暖化とか環境破壊に対しては心配はしています。
一昨年の猛暑の時期には、猛暑でスズメが沢山死んでいるのをみました。小さな生物は、より環境の変化に敏感なんでしょうね。気温が自分の許容範囲を超えると、あっけなく死んでしまう。
スズメは都会に住んでいるので、こういう現象はよく解ります。
(村)
逆に、山の中で同じようなことが起こっても誰も気がつかないということですね。
僕は、セミの種類が昔とは随分変わってしまったことに驚いています。昔は小さなニイニイ蝉がほとんどでしたが、今は全くいなくなってしまいましたね。
(酒井萠一さん)そうそう。クマ蝉なんて、蝉のチャンピオンでしたね。
蝉取りで言うと金メダル。捕まえると友達に自慢して廻りましたよ。
(村)
それが今は普通にいてニイニイ蝉は涼しい地方に行かないと、見かけなくなりました。
(酒井萠一さん)
そういう現象を目の当たりにすると、やっぱり危機感を覚えますね。
人間は何のために、こんなに一生懸命発達していくのか?何処に向かっているのか?という気持ちになります。
それに僕はフクロウやカブトムシが普通にいるような自然に恵まれた環境で育って遊んだ幸せな子ども時代を過ごしましたから、子ども達にも自然を残していってやりたいという気持ちは、やはりあります。
僕の周りには何故か環境保護運動をやっているヤツが多いんです。
長良川河口堰の反対運動にも、そういう友人に誘われて参加したりして、長良川の河口から最上流まで歩こう という運動にも何回も参加しましたよ。
大勢で歩いて夜になると河原でキャンプしつつ一週間ほど掛けて歩いていくんですよ。距離にして150kmくらい。当時は作家でカヌーイストの野田知佑(のだともすけ)さんが犬を連れて(カヌー犬:ガク)参加していましたね。
結果的に作られちゃいましたが、、、

(村)
僕は野田知佑さんのファンで『日本の川を旅する』は、深く感銘を受けて僕の人生を変えた本の1つです。
それに僕は元もと渓流釣りが好きで、毎年同じ川を見ていると、川の環境がどんどん悪化していくのが凄く解って川を取り巻く森なども含めた生態系、環境について色々考えるようになりました。そのことが仕事への影響も凄く大きいです。
酒井萠一さんは、いつから芸術家の道に進まれたんですか?
(酒井萠一さん)
実は特になろうと思ってなったわけではないんですよ。
中学生の頃はマンガが好きで、雑誌のコンクールなどにも投稿していて、入選したりしました。
しかし漫画家や芸術家になりたいなんてことは思っていなくて、あくまでも趣味です。

高校はごく普通で芸術とは無縁です。大学に入って、普通の生活がつまらなくなって1年もしないうちに中退して、京都の伊庭新太郎画伯の美術研究所に研修に行きました。
その後、掛け軸の仕事をするようになって、ほぼ独学で日本画の勉強をしていき、本格的な描くようになりました。
でも元は食べるために掛け軸の仏画を描いていた流れですね。
(村)当時の作品は、手が込んだ大作も多いですね。
(酒井萠一さん)
日本画は顔料が結構面白くて本格的な物は、水銀とかカドミウムなんていう大変危険な素材成分を使ったり、あとは宝石の粉末などの高価なものも使用します。油絵にはない独特の風合いが面白いです。

ただ今はこういう凝った物はあまりやらなくなりました。
基本的に自分が好きなことをやっている、、、というのが本音です。(笑)
(村)
最近は小説とかも、、、
そういえばフォークのライブは今でもやられてるんですか?
(酒井萠一さん)
フォークは高校時代に友人とバンドをやっていた関係で、今もたまにお呼びがかかりますね。
55才になった今でも何故かテレビ番組にも呼ばれたり、、、
プロじゃなくて、あくまでも趣味なんですけどね。(笑)
心をそのまま写し撮る
芸術家というとかなり気むずかしい雰囲気を想像される方が多いと思いますが、酒井萠一さんは、会った瞬間から解る、とても気さくで話をしていても何時も笑っているような控えめでにこやかな方です。
そんな人柄が作品にも現れているんだなと実感しました。
その後、実際に作品を描く所を拝見させて頂きました。
アトリエにて<お地蔵さんを描く>![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
拝見して驚いたのは絵を描くときの滑らかさ。考えながら描くということはなくて、用意が出来ると筆だけが色紙の上を踊っていくように描かれていきます。自然体なんですね。
考えながら描くのではなく、心をそのまま写し撮るような感じでした。
萠一さんの周りには多くの画材が所狭しとおかれています。画材などが雑然とおかれているアトリエは、お世辞にもキレイとは言えない場所ですが、酒井萠一さんが長年作品を創出してきた歴史が感じられました。あとから思ったのですが、酒井萠一さんは、人間へのメッセージを大山椒魚にかわって作品にしているのではないでしょうか。
※ネオナチュラルでは2009年の特製カレンダーに
酒井萠一さんの挿絵を使わせて頂くことになりました。
絵はがきを作って皆様にお届けする計画も進行中です。お楽しみに!
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酒井萠一さん略歴

1953年(昭和28年)生 岐阜市在住
京都、伊庭新太郎画伯の美術研究所にて研修後、木版、銅板、型染め、セリグラフ、水墨等、独学にて習得
1971 岐阜県展、文部大臣賞受賞
1973 岐阜「正文堂」にて、初個展
1976 「ArtistUion]アメリカ巡回展参加
以後、年4回ほど、岐阜、名古屋、東京などにて個展
1983 三重県長島町「蓮正寺」 壁画製作
1985 NTT名古屋にて個展
1988 岐阜県美並村「円空展」出品
1990 名古屋「銀花」にて個展
1994 画廊「炎舞」にて、初の陶芸展
1997 JR東海・善光寺御開帳のポスターを描く
1995~2006 全国(東京、大阪、京都、北海道、新潟、
青森、島根、兵庫、名古屋、岐阜、広島、など)
デパート(三越、大丸、高島屋、名鉄、近鉄、など)
全国の画廊などにて個展
著述
「夜と万年筆」有文社(絶版)
「和の趣」技術評論社・03
芸術新潮・04・3月号
なるほど倶楽部・02
和風年賀状素材集 「和の趣」 丑年版
技術評論社 編集部 (著, 編集)
2008年9月頃発売予定
2008年7月2日の記事
毎日新聞 インタビュー
2008年3月放送
歌謡ポップスチャンネル「フォークの旅路」にゲスト出演
出演 なぎら健一さん・遠藤健司さん・森山愛子さん
【誌名】週刊現代
【題名】サラリーマンの放課後/「フォーク伝説」を作ったカリスマたち
【登場】吉田拓郎、岡林信康、高田渡、加川良、遠藤賢司、
画家・酒井萠一 「フォークジャンボリー」、ロフトグループ・平野悠、
グレープ 伊勢正三他
【発行日】2004/03/13(P.182)
●特集・主力記事
小学館発行・PE-PAL増刊号・b*p・野外コンサートの特集
フォークジャンボリーの記事が酒井萠一のインタビューになっています。
http://www.bepal.net/temporary/0407bp/index.html
別冊宝島 Jポップ批評44 フォークジャンボリーについての記事
http://tkj.jp/book/book_20134601.html
実録・中津川フォークジャンボリー
技術評論社刊
和風年賀状素材集 和の趣 亥年版
10月12日 各書店発売
価格 1480円
和風年賀状素材集 和の趣 亥年版 Selection
10月23日 各コンビニにて発売
価格 950円
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■さかいほういち劇場
■別館さかいほういち劇場
■酒井萠一の世界
■昭和画報
■1970年フォークジャンボリー写真集

蒸留竹酢液<白竹の滴>製造『熊崎寛雄さん』

今回ご紹介するのは、蒸留竹酢液原液『白竹の滴』を製造してもらっている熊崎寛雄さんです。
熊崎さんは元大手の銀行マン。13年前に銀行を退職し故郷の岐阜県中津川市の山間に戻り、地元の仲間と一緒に一から炭焼きを勉強し炭焼き工房をはじめました。
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| 工房裏の渓流 |
場所は現在市町村合併で中津川市になっていますが、中津川市の中心街から熊崎さんの竹炭工房に向かう途中にはいくつものキャンプ場や廃校になった小学校があるような山深い場所で、工房の裏には岩魚が住む清らかな渓流が流れる素晴らしい環境の中にあります。
お住まいは築160年の古民家!(つまり建てられたのはなんと江戸時代)色々住みやすいように手を加えてはいますが、天井の太い梁などは歴史を感じさせる立派な風格を感じさせます。今回は熊崎さんの奥さんの手作りの栗きんとんを頂きつつ、色々なお話しを伺いました。
(じまブロ元気村編集部 以下:編)
熊崎さんは元銀行マンで、お住まいも都会だったそうですが
(熊崎寛雄さん 以下:熊さん)
でもここは山深い場所で大変不便な面もありますが、都会では出来ない色々な楽しみもあります。もともと好奇心旺盛でしたからね。炭焼きだって都会ではできません不便な田舎には田舎なりに色々な楽しみがたくさんあるんですよ。
(編)
周りを見ると畑もたくさんあるようですが?
(熊さん)
畑もここに来てはじめて始めたんですよ。周りの皆さんに教わりながらやってるのですが、やってみると非常に難しいですね。農家の皆さんは長年培ってきたノウハウを持っていて、今このくらい雨が降ったら次はこうするとか、この肥料をやるとかいわれるんですが、それが全く解らないし、実際に出来た物もあきらかに違います。やっぱり農業も技術だって実感します。
こういう田舎に住んでいると色々な事があって、先日は突然”ハチ追い”をしている人が突然ふらっとやって来ました。「クマバチを追っている」なんて言うんですよ。(笑) クマバチに小さな肉を持って行かせて、その飛び方を地べたに寝っ転がってずっと見てるんです。ハチの飛び方や方向を見ながらハチの巣のありかを突き止めて蜂の子をとるという趣味なんですね。この趣味のために全国旅をしているそうですよ。
(編)
都会では考えられないような出来事があるんですね。
そういえば池の上に巣箱みたいな物が、、、
(熊さん)
あれは日本ミツバチの巣箱です。小さな巣箱ですが、あれで蜂蜜も採ることができるんですよ。でも気まぐれで、突然家出しちゃったりします。(笑)
他に休耕田と湧き水を利用して錦鯉の養殖なんて事も実験的にやってます。
(編)
この炭焼き工房をはじめられたきっかけは何だったのでしょうか?
(熊さん)
地元の友人達と何か一緒にやろう、と話していたんですが、やるなら地元の資源を生かした事をということを色々考えて結局竹炭に行き着きました。昔は何処でも炭焼きをやっていたんでしょうが、私どもは全くの素人で色々調べながら一から試行錯誤ではじめたんですよ。指導して頂ける人もいなかったですし、竹炭の製造方法なんて説明書ありませんから数年間の試行錯誤の末、ようやく上質な炭や竹酢液が出来るようになりました。
(編)
『白竹の滴』は、愛用者の皆さんから「他の竹酢液とは随分違う」「お風呂に入れると、肌の状態が凄くよくなる」という話をよく頂くのですが、一般的な竹酢液と何が違うのでしょうか?
(熊さん)
原料の竹が孟宗竹を使用していることと、市販の多くの物は竹酢液原液ではなく見た目をよくするために竹酢液の原液に水を混ぜて蒸留して見た目が綺麗な物を製造します。白竹の滴は孟宗竹をよく乾燥して水分量を減らし、それを窯で焼くときにでる竹酢液を蒸留したものですから濃厚ということは言えるかもしれません。
その代わり、量的には非常に少量しかとれませんからコストの面では厳しいですね。でもお客様を裏切るような製品はやっぱり作りたくないですからね。
(編)
竹酢液を作る難しさというとどんなことでしょうか?
(熊さん)
やはり自然の素材が相手ですから、同じ孟宗竹を使
っても毎回出来具合は変わってきます。質としては問題ないのですが、お客さまから見ると、見た目が変わってくると不安になってしまいます。一般的に市販されている竹酢液は、そのために水分を入れて調整するようですが、それをやってしまうと本当の意味で原液になりませんから、それはしたくない。この品質の管理が一番難しいですね。(編)
原料の竹は、どこの物になるんですか?
(熊さん)
竹は孟宗竹です。地元で竹林をお持ちの皆さんから間引きの依頼を受けて、定期的に竹取に行きます。
竹は成長力が強くてどんどん増えるので原料代はほとんどタダですね。
でもこの竹の伐採というのは見た目以上に大変で単に竹を採るだけではないんですよ。伐採した後の処理とか竹の中でも使用出来ない部分の処理とか、非常にかさばるので運搬にもかなりの費用がかかってしまいます。
夏はマムシがいるので、あまり行きたくないですね(笑)
(編)炭焼きの教室なども行っていると聞きましたが、
(熊さん)
地元で『竹炭を焼いている変わったヤツ』が居るということで、地元の森林の保護活動を行っているNPOの団体に頼まれて時々出張して教室を行ったりします。
2,3時間あればいろんな素材で炭を作ることが出来るので、お子さんから大人まで結構楽しまれていきますよ、『白竹の滴』の愛用者の皆さんも、是非体験してもらうと面白いと思いますよ。
(編)そういえば、先日頂いた奥さん手作りの朴葉(ほおば)寿司、本当に美味しかったです。
(熊さん)
ここでは都会的な楽しみは全くありませんが、季節に応じて山菜とりなど色々なことを楽しめます。
是非皆さんでお越しください。いつでも歓迎します。
(編)
将来は会社の研修とか、竹酢液の愛用者の皆さんとも是非お邪魔させてください。
本日はありがとうございました。
これからも竹酢液の生産をよろしくお願い致します。
この取材の日も、自家製のパンや野菜などいっぱいオミアゲを頂いてしまいました。熊崎さんは非常に素朴な方ですが、素晴らしいスローライフの達人です(もちろん本人はそんなこといいませんが)。
敷地の中には熊崎さんが休耕田を利用して作ったビオトープに綺麗な菖蒲の花が咲いていました。(写真右)
皆さんもご一緒に熊崎さんのところへスローライフを学びに行きませんか?
↓この日頂いた自家製栗きんとん
↓熊崎さんとヘロヘロ店長(2007年8月)
お風呂に入るだけでツルスベ♪白竹の滴 詳細はこちら>> |
飛騨清見『野中さん一家』

今回ご紹介するのは、飛騨清見(現在は高山市との合併で高山市清見町)の野中さんご夫婦。
野中さんは20年以上前からご家族でハーブ栽培に取り組んでいる清見のハーブ栽培先駆者的存在のご家族です。
今回は野中さん宅にお邪魔し、色々なお話しを伺いながら、家屋に隣接したハーブ園や、そのハーブを乾燥しドライハーブを作っている作業場にも案内して頂きました。
先ず野中さんご夫妻にお会いして驚いたのが、ずいぶん都会的な雰囲気。田舎の農家のご主人(失礼!)とは全く違って見えました。そしてまた驚いたのが、清見という片田舎ではちょっと珍しい洋風のお宅です。玄関のアプローチもヨーロッパ風のモダンなタイルで随分立派なんです。リビングにも、よく別荘にあるような立派な薪ストーブがあって、その煙突が高い吹き抜けの天井まで伸びています。
(じまブロ元気村編集部 以下:編)凄く立派なお家ですね。中もまるで別荘のようなお宅でビックリしました。失礼ですが野中さんはどちらの出身でしょうか?
(野中邦雄さん59才 以下:野中さん)
生まれも育ちもここ清見です。お米農家の長男なんですよ。でも僕は昔から新しい物が好きで、色々考えて作るのが好きなんです。あの玄関のアプローチも自分で作ったんです。何でも自分で考えて作るのが昔から好きなんですよ。
この薪ストーブは毎年薪を用意しなければいけないし温まるまでに時間もかかる。だけど温まるまでの時間、薪をくべたり、ストーブの上で食べ物を作ったり、、、そんな時間が心地いいんですね。

(編)
なるほど。ハーブの栽培は20年前からはじめたとのことですが、もともと奥様がご興味があったのでしょうか?
(野中さん奥さんの光子さん 以下:奥さん)
いいえ。これも主人が色々はじめたんです。わたしもハーブには興味はありましたが、どちらかというとお手伝いする方です。ハーブの入浴剤なども製品を試してみて主人に色々な意見を言ったりはしますが。(野中さん)
僕がハーブに興味を持ったのは単純に面白そうだったからですよ(笑)
やっぱりこれも色々工夫して作るのが好きですからね。
(編)でも20年前というと、ハーブ栽培をやられているところもあまり無かったんじゃないでしょうか?
(野中さん)
当時はハーブという言葉も一般的じゃあなくて、ハーブの種を入手すること自体が難しかったです。
あちこちに連絡して色々探し回って、徐々に種類を増やしてきました。
そのハーブの原産地を調べて、その気候を把握すればある程度上手に栽培することが出来ます。そんなことを色々調べるのも楽しいですしね。もともと野生に近い品種が多いですから清見の気候にあうものなら比較的簡単です。
でも中には害虫にかなり弱い物もあって害虫を1つずつ駆除していくのが結構手間がかかりますね。これは仕事だと思ってやると辛いかもしれませんが、自分が育てたハーブですからみんな可愛くてね。楽しみながらやってます。

(編)
ハーブの入浴剤を作ろうとしたきっかけは?
(野中さん)
ハーブというのは実は範囲が非常に広いんです。長い歴史の中で役立てられてきた、いわゆる薬草は全てハーブと言っていいと思います。美容効果が高い物も非常に多いいんですよ。
栽培するうちに種類も量もいっぱい収穫出来るようになってきましたから、これを手軽に活用しようと考えていたら入浴剤としての利用に行き着いたんです。ドライハーブを布袋に入れてお風呂に入れて家族で利用しだして、これがなかなかいい感じ。
そこでご近所にも配ったりしていたら、お子さん、奥さんからお年寄りまで「凄くいいよ」「肌が凄くきれいになった」っていうんで、嬉しくなって徐々に栽培の量も増やしていったんですよ。
(編)
もともと無農薬で栽培されていたんでしょうか?
(野中さん)観賞用ではなくて料理や入浴剤に利用するのが前提ですから、農薬がかかった物は使う気になりませんし、、、
ハーブは基本的に丈夫な野生種に近い栽培植物ですから、手間さえ惜しまなければ出来るんです。
それに自分が作った物で皆さんに喜ばれるのは、とっても楽しいですからね。
昔の話ですが、あるドライブインで、露天のドライハーブのお店を出して家族で販売したことがあったんです。
台の上にドライハーブを山盛りにして、来た人に袋を渡して詰めるだけ詰めてもらって「1袋1000円ポッキリ!」なんてね。
これは本当に喜ばれて飛ぶように売れましたね。ドライハーブを山もりにすると、辺り一面いい香りが漂って、お客さんがどんどん寄ってくる。
でも、あまり沢山売れるんで最後にはドライブインのオーナーに「迷惑だ」って閉め出されちゃいました。(笑)
ああいうのって露天の店であまり沢山売れるとドライブインの中にお客さんが入って来なくなっちゃって、ドライブインはかえって迷惑なんだそうですよ。
(奥さん)
あの時は本当に凄い勢いで売れまして、ハーブがどんどん無くなっていって、、だから私が商品をとりに家とドライブインを何回も急いで往復しました(笑)
でも嬉しかったですねぇ
ハーブ園から、ドライハーブの作業を行う場所を案内して頂きました。
このドライハーブの作業スペースは実はもともと野中さんご家族が住んでいた部屋なんだそうです。
(編)
随分沢山のハーブが吊してありますね。
(野中さん)これでも今の時期は少ない方です。ハーブは種類によって収穫時期が違いますから順番に作ってストックしていくんです。自然乾燥でやっているので湿気が多い梅雨の時期は大変ですね。
今は機械を使った乾燥をしている所があると思いますが、自然乾燥の方がハーブの風味が飛ばないので、自然乾燥にこだわってやっています。天気がいい日には天日干しして室内にも外気を通す。湿気が多い日は室温調整のために締め切ったりして色々調整してうまく仕上げていくようにします。
(編)
入浴剤に使うハーブというのは、どうやって選んできたんでしょうか?
(野中さん)
わたしは専門の研究家ではありませんから難しい成分などは解りません。でも長年育てて、実際に色々な種類を自分や家族、それにご近所の皆さんに使っていただいて意見を聞きながら選んできました。ハーブの中には刺激が強い物もあるので、実際に自分で使って使用感を確かめるという方法が一番確かだと思うんです。
同じ名前のハーブでも、実は色々な種類があって微妙に違ったりしますが、施行錯誤しながら今の種類に落ち着いたという感じです。でもハーブは農産物で、ドライハーブといっても状態が季節によって変わってきます。だから季節によって一番いい状態の入浴剤にするために多少種類を変える場合もあります。
(編)
これからのハーブ栽培で考えていることはありますか?
(野中さん)
ハーブというと西洋の物というイメージが強いですが、日本のヨモギなども立派なハーブです。昔からヨモギ風呂ってよく利用されてきましたが、これを入れるとさらに身体がよく温まるので、ネオナチュラルさんの入浴剤にも入れることにしました。他にも身体にいいハーブというのはたくさんありますから、これからも色々勉強していきたいですね。
季節に応じて違うタイプの物を作ったり、、、
息子(野中逸郎さん)も一緒にやるようになりましたし、これからもお客さまの意見などもどんどん取り入れて、もっと多くのお客さまに喜ばれる製品を作っていきたいです。せっかく清見というハーブに適した土地ですから。

(編)
ありがとうございました。
これからも是非皆さんに喜ばれるハーブの栽培をよろしくお願い致します!
野中さんの家のリビングからは、いつもハーブ園が見渡せるようになっています。ハーブ園の裏には雪が積もった源氏岳から注ぐ渓流が流れ、野中さんのご自宅の前には湧き水が流れる水路にクレソンが青く茂っていました。 そんな家の造りからも、野中さんご夫妻のハーブに対する想いが解るような気がしました。
ここ清見のハーブ園にはいつも清々しい空気が流れているようです。
おまけ↓ 野中さんちのウサちゃんみる君です(^.^)
飛騨清見、無農薬ハーブのお風呂
┗ http://www.neo-natural.com/fs/life/c/97
「多治見太鼓」小木曽聡志さん
今回ご紹介するのは「多治見太鼓」の指導員、小木曽聡志(さとし)さん。
多治見太鼓は、名前の通り多治見市で設立以来約28年間、盆踊りや文化祭などの催しで活躍する太鼓の団体です。
小木曽さんは子どもの頃にこの多治見太鼓に参加し太鼓の技術を身につけました、いったんは太鼓から離れましたが、父親になって太鼓を叩く楽しさを思いだし、再度活動をはじめました。 現在、小木曽さんは多治見太鼓の中心的な存在。他の太鼓の団体を含めの太鼓の技術指導をしながら、ご自分も演奏の先頭に立っています。
多治見市内の商店街の公演の合間を縫って、お話しを伺いました。
(じまブロ編中部 以下:編)
ご苦労様でした。
素晴らしい演奏をありがとうございます。太鼓の振動が身体の中にまでしみ渡る感じがして、とても感動しました。
何か心が軽くなった感じがします。
さらに実際に太鼓を叩けば
一発でストレス発散になります(笑)
(編)
さて、多治見太鼓は、どんな団体なのでしょうか?
(小)
太鼓の団体には色々なタイプがあると思いますが、多治見太鼓は地域に根ざした団体で、盆踊りなどの地域のイベントを盛り上げるための演奏が中心です。
演奏を追求しコンクールに出たりする団体もありますが多治見太鼓はちょっと違います。演奏の質を上げるよりも、参加者みんなが太鼓を楽しみながら地域の行事に参加する。そんな気楽に参加出来る太鼓なんです。
(編)
随分年齢層も幅広いですね。
(小)
実際に演奏に参加しているメンバーでも、一番下は小学1年生から上は70才まで、本当に幅広いですね。主婦の皆さんも多くて、お子さんと一緒に参加されていますよ。
何年か経ってお子さんがクラブ活動などで忙しくなって参加しなくなっても、お母さんは残る方が多いですね。一度太鼓の楽しみを味わうと、なかなか離れられないんです。
(編)
でも実際に太鼓を叩けるようになるには、かなりの練習が必要ですよね。
いや、演奏を聴かせるのが目的ではありませんから、毎週1回の練習に参加してもらえば、その方のレベルに応じて演奏にも参加できるようになります。うちの子ども(小学校1年生、中学校1年生)も楽しんでやっていますよ。
多治見太鼓の演目は現在30曲ぐらいありますが、難しいモノもあるし簡単なモノもある。レベルに応じて楽しくやるのがモットーです。練習だって、強制してやるモノではありません。
演奏の後はみんなで打ち上げ。ワイワイやるのも楽しいですね。
(編)
どんな曲目があるんでしょうか?
(小)
一般的な盆踊りに使われるものや、最近の流行歌に太鼓をあわせて創作する曲もあります。
また隣の瑞浪市に古くから伝わる「福鬼太鼓」も多治見太鼓が引き継いでいますから、非常に伝統がある演目もあります。
| 真剣な表情でメンバーの演奏もチェック |
そんなに沢山の曲があると覚えるのも大変ですね。
(小)
初心者なら初心者でも演奏出来る曲があるし、上級者でないと演奏出来ないものもある。練習を頑張って上手に太鼓をたたけるようになるといのは大きな喜びだと思います。でも、基本的には自分のペースで楽しんでやっていけばいいと思っています。
楽しくなると皆さん車の運転中も信号待ちの間に演習したりしますね。
(編)
実際の運営は?
(小)
カミさんにも手伝ってもらってますが、運営といっても気楽な団体なので、あまり気を遣っているわけではありません。
金銭面では、公演すると若干ご祝儀のようなものを頂ける場合もあります。
ただ太鼓1つ維持するのも結構たいへんで、定期的に皮の張り替えが必要になります。これを1面(太鼓の片面)やるだけで13万円ほどの費用がかかってしまいます。太鼓を叩くバチもどんどん痛みますから取り替えないといけない。基本的に消耗品なんです。
以前、演奏中にバチが折れて飛んでったことがありました(笑)
(編)
将来に向けて何か目標は?
上手く太鼓をたたけるようになるには、やっぱり練習が必要になりますが、上達のスピードは人それぞれです。
どうやって指導すればその人にとって解りやすいのか?上達しやすいのか、というのが一番お悩みであり、苦労するところです。でもそれを色々工夫するのが私の大きなやりがいでもあります。
出来れば将来は、みんなでレベルの高い演奏を目指してどんどん盛り上がって楽しんでいけたらいいですね。そして太鼓の楽しさをより多くの人に伝え、結果として地域にも貢献出来ればいいと思っています。
(編)
皆さん本当に楽しんでやっている雰囲気が凄く伝わってきました。
これからも頑張ってくださいね。本日はお忙しい中ありがとうございました。
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メンバー募集中
多治見太鼓では、『じまブロ元気村』のブログを活用して、練習や公演の予定の連絡、メンバー間のコミュニケーションにも役立てておられます。
何時でもメンバー募集中。ご住所などは問いません。ご興味がありましたら何時でもブログに書き込みして、練習を見学に来てくださいとのことです。 ●多治見太鼓のブログはこちら
多治見は岐阜県南部の東濃地方にあり、日本一の陶磁器生産地として知られています。
豊かな自然と良質な土に恵まれ、遥か古墳時代から窯業の技術が発達してきました。
また今年国内の観測史上最高気温40.9度!を記録し、全国で一躍有名になりました。
タグ :多治見太鼓
ヘチマの里・瀧田啓剛さん

今回ご紹介するのは、今や『へちまの里』として有名になった富山県射水市で、25年前(昭和57年)はじめてヘチマの有機栽培を行った瀧田啓剛さん(昭和15年生)です。
今や自然派スキンケアの定番となり、多くの女性にとってなくてはならない商品になったヘチマ水100%ローション『私の部屋』。 この完全無添加の化粧水を、へちまの栽培から手がけてきた方です。
今回はへちまの栽培に取り組んだきっかけから現在に至るまでのお話を、ちょうどヘチマ水の収穫が最盛期のお忙しい中、お聞きしました。
(じまブロ元気村編集部 以下:編)
へちまの栽培を行ったきっかけは?
(瀧田さん 以下:瀧)
実は私はNTT(当時の電電公社)の会社員だったんですよ。でも家は農家でお米も野菜も作っていて、何故か農協では青年部の部長をやらされていました。当時婦人部で毎年新たな作物の栽培をやってみようという企画があって、その中にヘチマがあったんです。
そのヘチマの栽培を見て僕は何故かピンときたんです。でも農協の婦人部では1年ごとに別の物の栽培をやるっていうんで、しかたなく自分の畑、だいたい300坪ほどを潰してへちまの栽培をやってみることにしたんです。
不思議ですよね。だって当時はヘチマ水が化粧水になることすら知らなかったんですからね。
でも当時から農家はただ単に生産するだけではなく、何か新しい特産物などを作り出す工夫を常にしていかなければ生き残っていけないという考えは強く持っていました。
(編)
へちまの栽培はうまくいったんでしょうか?
(瀧)
○雑草との戦い
で、ヘチマの栽培にとりかかったですが、どうせやるなら無農薬有機栽培でということで取り組みましたが、ヘチマよりも雑草育ててるみたいな物で、ホント大変でした。
当時は僕はサラリーマンもやってて仕事が終わると雑草取りに毎日通いましたが全く追いつかない。へちま畑は見事に草だらけにしてしまって周りにも随分迷惑を掛けてしまいました。これは本来農家としてはやってはいけない事で、ご近所からは随分おこられましたよ。
草を生やすと栄養がとられてヘチマも元気に育たないし病気になる。除草剤を使えばいいことですが、それは絶対にやりたくなかった。それで土の上にシートを被せたり色々やりました。
工夫するのは凄く好きだったんで試行錯誤してやっているうちに、何とか有機栽培でヘチマを元気に育てられるようになってきました。
(編)
それでヘチマ水の販売に取りかかった?
(瀧)
いえいえ、当初はヘチマ水なんて物も知りませんでしたし(笑)
○ヘチマ水
でも自分なりに色々調べたりしていると、戦時中へちまの栽培を行って、それを販売した、なんていう話を知人から聞いたんですよ。 実際にうちの家内に聞いてみると凄くいいらしくて、美白効果がどうのこうのって言ってました。(笑)
美白とか言われてもチンプンカンプンだったんですが、それを聞いてヘチマ水をとる事にしたんです。
そこで有志を集めてへちまの生産組合を作って、かなり本格的に大々的に栽培をはじめちゃったんです。
でも変な話で、ヘチマ水を販売する方法も何も知らないんですよ。生産してもそれを販売するあては全くありませんでした。まったく、とんでもない計画ですよね
それでも、東京のある化粧品メーカーに売り込みに行って、何とか購入してもらうことになったんです。
○窮地
それで、ヘチマの栽培はちゃんとお金になるって事で、へちま生産組合員にも、どんどん生産してもらいました。
ところが翌年ヘチマ水を購入してもらうはずの化粧品メーカーから、まったく注文がこない。僕もいい加減で、契約なんて全くしてなかったですし、、、
量にして10トン。
保管しておく倉庫もなくて農協の倉庫を何とか借りてそこにストックしたんですが、その膨大な量のヘチマ水を見て、呆然としてしまいました。
お恥ずかしいお話ですが保管しきれなくて、仕方なく河原に軽トラで持って行っては、泣きながら川に流したこともあったんですよ。
だから今でも川を見ると、あの時の苦しい思いがこみ上げてきます。
(編)
お辛かったでしょうね。
(瀧)
そう。だからあそこの橋を渡るときはなるべく下を見ないようにしています(笑)
でも、あれがあったから今がある。 そう思っています。
○自分で製品にする
当時は、もう八方塞がりでした。
へちまの栽培を自分で多くの方に呼びかけた以上、途中でやめるわけにも行きませんし、生産しても販売するあてもないんですから。買ってくれって営業に廻っても誰も相手にしてくれません。
そこで考えたのが、自分で製品にして販売するって事です。これからの農家は生産から販売までも考えて行かなければいけないって言う思いもありましたし、でも何より、そうなった以上自分で製品にして売るしかなかったですからね。他に方法はなかったんです。
当時、有機栽培のヘチマ水はそのまま保存しておいても全く腐らない技術も確立していましたから、何とかなるような気がしたんですね。
そんなときに五洲薬品という入浴剤を専門にしている地元のメーカーさんの営業と知り合って、何とかならないのかと相談したんです。
そうしたら、五洲薬品さんも僕の思いをくみ取ってくれて色々動いてくれました。なんせヘチマ水100%の化粧水なんて事例がありませんから、事例がない物を認可してもらうって普通は出来ないんですよ。
防腐剤を入れないヘチマ水だけの製品なんて、普通はメーカーも作りませんよ。責任もてませんからね。
<瀧田啓剛さん第2回に続く>
瀧田さんのヘチマ水100%ローション『私の部屋}はこちら

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へちまの里・瀧田啓剛さん<第2回>

前回は、瀧田さんはヘチマ水100%の化粧水を製品化するまでの苦労をお話しして頂きました。さて、今回は製品が出来上がってから現在までのお話です。
<瀧田啓剛さん第1回はこちら>
●地下道に段ボールで眠ることに・・・
(じまブロ元気村編集部 以下:編)
ヘチマ水100%ローション『私の部屋』が出来上がって、いよいよ販売しだしたんですね。
販売の方は順調でしたでしょうか?
いやいや。いまでこそ『私の部屋』は、多くのお客さまに受け入れられていますが、当時は全く売れませんでした。
といいますか、売る方法も販売について全く素人の私には皆目解らなかったんですよ。この商品が消費者に受け入れられるのかどうかも、全く解りません。
(編)
じゃあ、初めは何からはじめたんですか?
(瀧)
当時、大島町(現在は合併で射水市)で、変わったことをやっているヤツがいる、って事でNHKテレビの取材もうけるようになりました。
でも、テレビに出れば売れるだろうって思うでしょうが、全く売れませんでしたね。だいたい当時(20年以上前)は無添加、無農薬、有機栽培なんて言葉も一般的じゃありませんでしたからね。
しかたなく東京や、名古屋、大阪のデパートの物産展などに参加して、車にヘチマ水をのせて運んでいっては一生懸命販売しました。 これが辛かった。
隣の名産品コーナーなんかの商品は黒山の人だかりでも、私の前には全く人がよってこない。
持ってきたヘチマ水をそのまま車に詰め込んで帰るのは、本当に辛いし寂しかったです。イベントに参加しても交通費、宿泊費は全部赤字。家計も家内に働いて養ってもらっている状態でしたね。
家にも帰りにくくてね。そこを通るときに真剣に思いましたよ。
「私も、もうすぐこの人達の仲間入りだな・・・」
(編)
でも今は沢山のヘチマ水ファンがおられるんですから、何か転機があったのでしょうか?
ある時、大阪の『ちちんぷいぷい』っていうローカルテレビ番組から出演のお誘いがありまして、地方の特産品の特集をやるから出演して欲しいって話だったんです。
その収録で色々へちまの栽培の事を聞かれましてね。 私もヘチマの話になると夢中になって話をする。 ところが色々話をしているうちに、これまでの色々な想いが急に溢れてきて胸が詰まってしまって情けないことに言葉にならなくなっちゃったんですよ、、、
まあ何とか収録は終わったんですが、
そしたら、その翌日から凄い勢いで電話で注文が入るようになりました(笑)
テレビで、みっともないところを見せてしまって本当に恥ずかしかったのですが、結果的に私のヘチマに対する想いが、皆さんに伝わったみたいです。
それから、みなさん繰り返し注文してくれるようになったんです。
(編)
瀧田さんのヘチマ水の良さが受け入れられるようになったんですね。
(瀧)
それと、もう一つはタイミングというか時代だと思います。
それが化学成分の害が社会的にクローズアップされるようになって自然の物の良さが徐々に見直されてきた。そういうことだと思うんです。
(編)
へちまの栽培に取りかかってからの話をして頂いたのですが、これまでを振り返ってみて一番心に残ることは?
(瀧)
ヘチマ水を受け入れてくれたお客さまへの感謝の気持ちは当然ですが、今まで随分周りにお世話になったし迷惑を掛けてきました。ヘチマ畑を雑草だらけにしたりね(笑)
当時、私の親は何も言いませんでしたが、おそらくご近所からも随分色々なことを言われたんだと思います。だけど、私には何も小言は言いませんでした。近所からの恨みを親が受け止めてくれたんですね。
そのおかげで、へちまの栽培も続けられたんだと思います。
家内にも養ってもらいましたしね。(笑) 本当に家族には感謝しています。
(<瀧田啓剛さん最終回>自慢人に続く)
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↓今では大島地内にこんな交通看板もあります
| 大島地内の交通看板 |
へちまの里・瀧田啓剛さん<最終回>

<瀧田啓剛さん第1回> <瀧田啓剛さん第2回はこちら>
●要らない物を捨てる時代は終わった
(じまブロ元気村編集部 以下:編)
これまで大変な苦労をしてへちまの栽培を続けてこられたわけですが
ヘチマのこれからのことについて少しお聞かせください。
25年やってきて、なんとか軌道に乗ってきたという感じですが、周りの皆さんを巻き込んでへちま栽培に取り組んできたわけですから、やっぱりへちまの栽培、生産をすることによってちゃんと利益を出すという責任があります。そのためにはこれからも色々な工夫をしていかなければいけないし、その責任があると思っています。
ヘチマの栽培をやっていて生産者として何時も思うんですが、一生懸命に育てた物を捨てるというのは非常に辛いしもったいないと思うんです。昔から農産者は色々な工夫をして自分の育てた物を最大限利用してきました。お米を作れば藁を編んで色々な物をこしらえる。
ヘチマについても同じで、ヘチマを育てるとヘチマ水を採取して、ヘチマ実でヘチマのタワシを作る。だけど茎や葉っぱは廃棄するんです。
| へちまの葉を乾燥した物(現在実験中) |
だけど要らない物を捨てる時代は終わりました。せっかく丹精込めて育てたものだから、もったいないじゃないですか。要らないと考えている物を利用して、何かいい物を生み出す工夫をしていきたいんです。
ヘチマには他の物にはない特性がありますからね。
例えば今取り組んでいるのがヘチマのお茶。これは色々な人に試飲してもらったけどとてもいい物が出来ました。他にも葉っぱを乾燥した物などの利用法も現在思案中です。
●生産者も消費者目線で
(編)
瀧田さんは射水市のお米の生産についてもお考えがあるとお聞きしましたが、
(瀧)
お米といえば新潟魚沼産が大きなブランドですが、味だったら富山のお米も負けていないという自負が我々にはあります。
しかしそれだけではダメで富山米の良さ、おいしさを消費者に伝える努力をしていく消費者目線が必要だし、そのために常に何かに取り組んでいかなければいけないと思います。
●「自然の力」ということでいいじゃないですか?
(編)
最後に、何かヘチマ水の愛用者の皆さんにお話したいことなどがあれば
(瀧)
そうですね。
よく頂くお問い合わせに、「今回ヘチマ水を購入したが前回と香りがちょっと違う」という様なお話があります。
これは、100%無添加のヘチマ水というのは基本的に農産物と同じで、採取する日やタイミングによっても微妙に異なってきます。PHだって完全に一定ではない。
でもそういう苦情があるからといって、PH調整を行ったり、香料を使ったりしたら本末転倒で、それは無添加の製品ではなくなってしまいます。
ヘチマ水は、基本的に農産物なんです。それを理解してもらいたいし、理解してもらう努力が我々にも必要だと思います。
これが何故なのか、どういう成分がどう作用しているのか、ということを大学などで詳しく分析してもらったら?というお話もあるのですが、自然の力を分析して難しい化学式を並べても面白くも何ともない、って思うんです。
私の家の蔵には40年前に採取したヘチマ水が保管してありますが、今でも全く腐らないし、見た目ではさらに透明感が増してます。だけど、それを分析するなんて言う気にはなりません。
それは
「自然の力」ということでいいじゃないですか。その方が面白いでしょ(笑)
それと、ヘチマ水の販売について言えば、やっぱり地道に一緒にやって行って頂ける方とおつきあいしたいと思います。今は海外でもヘチマ水は注目されているようで、ヘチマ水の取引の申し込みがあったりしますが、一時的なお取引はしません。私どものヘチマ水の良さをきちんと理解して頂けて、愛用者の皆様にもきちんとその思いを伝えて頂ける、そういう皆さんと末永いおつきあいして行きたいと思っています。
<じまブロ元気村『自慢人』 瀧田啓剛さん 終わり>
ヘチマ最中とヘチマ茶をご馳走になりました。
ヘチマ茶は香ばしい香りで、とても飲みやすいお茶です。
お通じにも凄くいいそうです。
| 大島地内の交通看板 | へちまの里最中 |
瀧田さんのヘチマ水100%ローション『私の部屋}はこちら

<瀧田啓剛さん第1回>
<瀧田啓剛さん第2回はこちら>











